カボチャ 受粉方法 かぼちゃは種を買うな! 苗を買え!
カボチャ栽培はわからないことだらけだ。
簡単な作物とのことでしたが???
昔買った野菜作りの本では、西洋かぼちゃと日本カボチャで剪定方法が分かれていた。しかし、種の裏に栽培方法では、摘芯方法は品種で異なるようで、一本だったりする。
隣の畑の大先輩方は、親蔓を切れとか助言くれるが、そのようには種の袋の裏には書いてない。
ウリバエの集中攻撃の洗礼を受けての苗での萎縮から脱却して、ツルが伸び始めた。
どんどん伸びるので、ツルの方向を毎日コントロールする。
ウリバエの攻撃で葉が虫食いになり弱り息も絶え絶えになりそうだったことは、もう過去のこととなりウソのようだ。
青々とした大きな葉を引き連れてツルの成長点は進んでいく。
花は2種類ある。
ツルの節のところに咲く実になる雄花。
根に近い所に、たくさん咲く雄花。
雌花の写真の中で下に落ちているのがオバナである。
メバナに受粉させた後に投げ捨てられるわけである。
雄花も雌花も奥に蜜があるようで蜂や蟻が入り込む。
雄花と雌花は離れているが、蜂やウリバエが花粉を運んでくれるようだ。
今日は、カボチャ好きの私が雄蕊を捥いで受粉させた。
朝のうちに雌花が咲くので、雄花の雄しべをもいで、人口受粉させる。
午後にはしぼんでしまうので、午前中が勝負だ、ケロ、ケロ。
今日はバイクで畑に向かった。
オフロードバイクでもあるジェベルは、正式にはオフロード風のツーリングバイクなので、タイヤをブロックタイヤからロードタイヤに変えてあるが、畑くらいは走れる。
年配のライダーがバイクは持っているが乗らないと考える若者もいるようだが、ツーリングにも、キャンプにも行くし、朝に夕に、毎日畑にも通う。体力気力が落ちたなりの走りをする。カーブで抜いてくる若者には一喝したいときもある。
16歳から乗っているので、頭ではなく体が勝手に変速したり、バランスを取る。一時停止で足をつかないときもある。人馬一体なのだ。オープンカーが人馬一体というのはウソである。車は馬とはみなせない。バイクだから人馬一体なのだ。せいぜいスクーターくらいまでであり、トライクも人馬一体とは言い難い。乗せてもらっているのだから。
乗せてもらっているという言い方をすると、ハヤブサやCB1300も吹かせないので人馬一体とは言い難い。やはり乗せてもらっているのだ。
操れるのは排気量で行くとせいぜい400cc程度までで、ベテランであっても600ccが人馬一体の限界かもしれない。しかし、見栄を張るのも悪くはない。世界一のバイクを作っている日本ではライダーは幸せなのかもしれない。それでも、わざわざドイツ車、イタリヤ車を買うのも見栄なのかもしれない。ハーレーは見栄もあるが、洒落といったほうが良いかもしれない。
もっと安心してバイクに乗れる国になればと思うが、毎日スマホ片手に曲がってくるお姉さま方には、人の命よりスマホ命なのだなと感心する。あおり運転してくるワゴン車の若いお父さんも、心は幼稚園坊主のままの様で、成熟社会となった日本では人間は未成熟のままで、ハイテクが進み、PC制御で走る四つ車のお兄さんは、自分の腕を過信し暴走する。
話しはそれたがカボチャの結実のために、
① カボチャは午前中に受粉させる。
② 人為的に受粉させることができない日には、昆虫が受粉させてくれることを祈る。他力本願。実存哲学的。
他力本願、座禅を組んでの修行や解脱するための努力が不要な浄土真宗のような心境だ。南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ、アブハチウリベエ、オンバサラダアー、メンソーメンソクセキメン、ナンデモアーレ、チャイ、ナシン、ドロー、ム、コロ、ナーー、悪阻、露紙、ウーゼツーメツーーーゥ。どうにもこうにも自由にいかない人生に大きく、固く、重い、ベータカロテンなカボチャあれ。
他力本願=昆虫を大切に=農薬に頼らない農作=規格の厳しい日本型農業からの脱却=市場で量り売りする本当の産直を望む(この世では=は≒であったり≠であるする)
実存哲学的受粉、今何種類ものカボチャが植えてある。"雪化粧"、"栗まさる"、"栗美人"、"みやこカボチャ"、"島かぼちゃ"など(盗人の隣人にブランド名は取られていないか?すでに取られたか?心配しても始まらないか?)であるが、他力本願、ムシホンガンで受粉した場合は、花粉が混じると、化けるらしい。たとえば、白いカボチャが緑になったり、大きいカボチャがミニカボチャになったり、丸いカボチャがひょうたん形になったりと、教わった。今年は、いろいろと育苗したり買ったりして植えつけたので、内心恐れおののいている。然し、ハーフが出来たらできたで食らってやれば良い。しかし、まずいとも脅されている。まずくてもカボチャ、ベータカロテン、食物繊維、抗酸化物質、モンクアルカ、などが含まれているので、前向きに考えるべきである。実存哲学的に、考えて受け止めればよいのだ。
今のところ、種の写真の通りの色と形であるが。
すくすく育って、私の胃袋に入って体の一部となってもらいたい。
大玉、小玉を取り込むのである。